鉄道心象風景とNゲージの館「雲出づる国」山陰
鉄道心象風景とNゲージの館「雲出づる国」山陰

21世紀の語りべ

■第11回 ジオラマ企画4

木次線・出雲坂根の三段式スイッチバック

■第10回 ジオラマ企画3

余部鉄橋の巻

■第9回
エンスージアスト・ノートvol.1

しんじミステリーツアー

■第8回 ジオラマ企画2

歴代車輌の入線オンパレード!

■第7回 ジオラマ企画2

一畑電気鉄道(旧)松江温泉駅の巻

■第6回 ジオラマ企画1

山陰本線旧線と保津川下りの巻二

■第5回 ジオラマ企画1

山陰本線旧線と保津川下りの巻一

■第4回

フォトギャラリー 今どきの山陰線

■第3回

夜汽車に揺られて…

■第2回

白砂、貴婦人+レトロ

■第1回

次は松江、松江です

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甦る歴史の証人達

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21世紀の語りべ

■主の1ページ 第1回
 「次は松江、松江です」

 私の幼い頃の旅の想い出と言えば、毎年恒例にしていた夏休みの家族旅行である。神戸の伯父を頼って甲子園のナイターを観に行った時も、九州へ行った年も、主たる移動の手段は決まって、今は亡き特急「まつかぜ」だった。当時は、大阪〜博多間を山陰本線を経由して延々と直通する列車で、グリーン車2両と食堂車を含む最大13両(キハ82系)という編成美を誇っていた。まあ、あの時期の国鉄の長編成たるや見栄と無駄の産物でもあったのだが、私の場合「まつかぜ」で育った世代なのは確かであり一番想い出深い列車である。

 何せ、まだ自家用車など贅沢な時代のこと、どこへ行くにも汽車だった。盆には母の実家に墓参りというこれまた年中行事があって、この際に乗るのは必ず、米子発木次線経由広島行の急行「ちどり」(キハ58系)だった。シーズンには車両の増結もする程だったが、この列車も今は通っていない。急坂やトンネルの連続にディーゼル・エンジンが唸りを上げる車中で、カニ寿司の駅弁を食べるのが何よりの楽しみであったことを今でもよく覚えている。

 そして高校3年の秋、大学の下見と称し担任に直談判してもぎ取った有給休暇?にクラスメートと3人で京都へ行ったのである。この時は、これまた昔日の普通夜行「山陰」にての往復という貧乏旅行で、茶や青の旧形客車の通路に新聞を敷いて横になったりしたものだ。特に下りの場合は早朝、鳥取を過ぎた辺りから行商のおばさんが乗り込んで来たり倉吉から先になると今度は学生に入れ替わるという具合に生活臭の漂う実にほのぼのとした良い汽車だった。因に地元ではこの「山陰」号のことを「京都夜行」、同じ出雲市発の福知山線経由で大阪行の急行「だいせん」の方は、「大阪夜行」という風に呼んで親しんでいた。

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